yatazawamakiru1のブログ

心にあることを徒然なるままに。故に話が飛躍することはザラなり。

母の日に母なる大地へ

今日母の日に母なる大地へ行ってきました。

 

家からすぐ近くに600m弱の山があるのでギターかついで登ってきました。

 

山頂では小鳥や虫、自然を観客に弾き語りによるワンマンライブをし、下山の際は歩いていて感じたことや歩きながら出くわした虫やハプニング(二回道を間違えました)についての即興ソングを歌って楽しみました。

ツツジの蜜を吸うクロアゲハがたくさんいましたし、山頂から見下ろす町並みも結構綺麗で外国のポストカードにありそうだなと普段は気づかないことに気づかされました。

 

町に関して述べると、外にスペースがたくさんあるんだからもっと広がればいいのに笑というくらい一つに固まっているのが外から見てわかります。自分は一人で生きていると思っている人もここから観ればその枠の中に入っている一人にすぎず、やっぱりなんやかんやで人は他の人と繋がって生きているのだなあと感じました。

同時に経済的には頼っているが、それでも精神的に孤独だと感じるのも不思議なことだと思いました。あんなにすぐ近くにいるのに人と交流せず、いつも自分の内側で自分とだけ対話している。私もどちらかと言えばそういうタイプです。大学では規模の大きい団体に入っていますし、友達?の数も決して少なくはないですが、飲み会や5、6人以上の集まりになると無性に孤独を感じる。心から会話をすることは稀ですし、いつも中途半端な交流をして帰宅後言い得ない寂しさを感じる。多分他の人の存在がとても気になるからなのかなと思います。自分以外誰もいなければそんなこと感じないと思うので。

逆に物理的に人から遠ざかると、これがまたおもしろいことにあまり孤独を感じません。道中振り返っても誰もいない道をひたすら一人で歩き続けましたし、獣道みたいな少し勇気のいるところも平気で進んでいきました。しかし町の中にいるときのような寂しさは感じませんでしたし、はっきり言ってやっと一人になれて嬉しいとさえどこか思っていた節もあります。孤独といえば孤独ですが、それはマイナスのものでなく、プラスの思考をが働くような前向きな孤独です。私が今日歩きながら考えていたことは、パートナーと一緒にこの山の暖かい影の中、山の匂いをかぎながら歩けたらいいなあみたいなことです笑。また、今度は誰か後輩でも連れてギターセッションしながら山を歩けたら最高だろうなとか思いましたので近いうちに連れいこうと思います。

 

こういったことを感じさせてくれた山には不思議な力があるのかもしれません。

 

海が人間の生まれた場所だとすれば、山は人間にとって精神的な意味で家のように思います。虫なんか顔の周りをぶんぶん飛ぶし快適とは言えませんが、家にいるときよりよっぽど心を落ち着かせてくれるのですから。

 

ダダでシュールにアイデア量産

皆さんアイデアはどうやって生み出していますか?

 

うーんと何時間もうなってようやく一つ閃いたという人もいれば、数分で作品を作り上げるミュージシャンもいます。

 

この差は才能によるものなのでしょうか?

 

ある種そういった部分もあるかもしれませんが、この差を見ると何か生み出す上でコツがあると思いませんか。

 

ジェームズ・ヤングの「アイデアは既存のものの組み合わせである」という言葉はすでに有名ですよね。これはつまり、

インプット量(知識量)×組み合わせ方

の式で表すことができます。俗に言う「引き出し」で例えるとイメージがしやすいと思います。

 

しかしインプットに関してはコツコツと一つずつ蓄積していくしかない気がします。本やネットで得た知識を自分のものにする訓練みたいのをすることで多少の効率は変わるかもしれませんが。知識量に限界があるとは思わないので、こちらは死ぬまで努力の必要がありそうです。

 

そこで今回は、後者の組み合わせ方に関してシェアできそうなものを見つけましたので紹介しようと思います。

 

ずばりそれは、ダダイズムシュールレアリスム的考え方です。

 

この言葉を聴いて何それ?となる人もいるかと思います。

 

ダダイズム第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。(Wikipedia

 

シュールレアリスム芸術運動のシュルレアリスムでは、その多くが現実を無視したかのような世界を絵画や文学で描き、まるで夢の中を覘いているような独特の非現実感は見る者に混乱、不可思議さをもたらす。(Wikipedia

 

と載っていました。これを読んだだけだとイマイチぴんとこないと思うのでぜひ作品を見てみてください。

 

簡単に言うと非現実なもので既成概念をぶっ壊そう!笑みたいなイメージです。(その道の人、適当な表現ですみません)

 

しかし作品をよく見てください。中には何を描いているかさっぱりなものもありますが、見慣れたものと見慣れたものを組み合わせたものも多くありませんか?

 

人間の足を靴に見立てたもの、宙に浮かんだ人や岩など、一つ一つの要素は馴染みのあるものが多いです。ただ、これらが圧倒的に新鮮な驚きを引き起こしてくれるのは、その意外な組み合わせによるのです。

 

では、具体的に組み合わせる際どうしようかってなるんですが、一つはコラージュという考え方があります。こちらはスマホアプリの方でもよく使用している人を見かけるので馴染みのある言葉だと思います。要するに新聞の切り抜きみたいに画像を加工して貼り付けることです。ちなみにこのコラージュはダダ・シュールレアリスムから発生したものなんですね。

 

使う素材はインスピレーションが沸いたもので良いと思います。いくつか用意して帽子か何かの中に入れて混ぜ、適当に掴んだもので色々な方法でくっつけてみる。最初はその意外すぎる組み合わせから違和感や抵抗を感じるかもしれませんが、考えるだけただです笑。数をこなしましょう。そのうち自分でも「これは!」と来るものができるかもしれません。

 

慣れてきたら物質的な捉え方だけするのでなく、この性質(要素・特徴)とあっちの性質を合わせたらおもしろくなるのでは、という風に頭を働かせるのも良いです。

 

反対に頭を使いすぎてこんがらがってきた人は、もう一度戻って無意識に組み合わせてみると意外性が生まれます。

 

なんにせよ、アイデアが全く出てこないというのなら一つ試し見ても良い方法ではないでしょうか。

 

 

ちなみにダダイズムシュールレアリスムが生まれた背景には、それまでリアリズム的な絵画(より現実に近い絵)がよしとされてきた中で、写真という最も現実に近しい二次元を瞬時に作るものが登場し、絵の技巧的な善し悪しが問題ではなくなったということがあるそうです。そこでそれまでの風潮を壊したダダイズムなどが出てきた訳ですが、なんとなく現代のビジネスにも言えそうだなと思うのは私だけでしょうか。モノがコモディティ化してきた世の中で、イノベーターが求められている状況と置き換えることができると思います。

 

こういうことを考えると、芸術から受ける刺激や影響って結構多大なるものがあると思うので、やはり定期的に美術館を訪れるのは楽しいし、現代にも色々使える素材が多いまさに宝の山で身になるなあと思うのでした。皆さんも芸術は理解できないし意味はないから、と馬鹿にはせずに一度触れてみては。

衣類を捨てて感じた「捨てることができる人間」

みなさん捨てることができずに困っていることってありませんか?

いわゆる断捨離ってやつですね。

 

昨日やつれてしまった下着類や2ヶ月間外に干しっぱなしで随分と色あせてしまった衣類、押入れの奥にしまっていたもう着ることはないであろうコート等を一斉に処分しました。量にして、10ℓのゴミ袋二つ分パンパンになるくらいです。半分はまだ着れる余地があるなと思いセカンドストリートに出しました。

 

関わりをもったものに対して以上なほどに愛着を感じてしまう自分には中々難しい部分がありました。私の気持ちの入れようがどれほどかというと、自分の細胞が付着したものは全て自分の一部で、それが捨てられるとなるとこれまで一緒に過ごした時間が妙に美化されて蘇り、服が「捨てないで」と語ってくるようにさえ思われるほどです笑。多少誇張は入っていますが、そこまで外れてはないです。

 

みなさんも似たような思いしたことあるんではないでしょうか?特に誰かからのプレゼントであったり、自分のお金で買ったお気に入りのものなどはそうかもしれません。私も昨日捨てた中には高校の時に着てた自分では世界最強の組み合わせだと思っていたものもありました(白のプリントが入ったシャツとベージュのズボンです、、、、、、ガチでこれ以上はないと思っていました笑)。

 

いつぞやテレビで紹介されていたものでは、カレールーの箱さえも捨てるのをためらい、壁に沿って本のように何百と積まれていた人が紹介されてましたね。傍から見るとさすがにここまでくると何か普通でないものを感じますが、それでも内から湧き出てくるこのモノに対する思いは何なんでしょうね。人類共通なのでしょうか。

 

ただそんな私が遂に服を捨てる決心がついたのは、残していても全く意味がない、むしろ残すことで「捨てることができない人間」になってしまうと判断したからです。この捨てることができるかできないかというのは結構重要だと思っていて、単にモノだけでなく、生活の色んなシーンで言えると考えます。

 

将来のターニングポイントにおける決断なんかまさにそうでしょう。「何かを選ぶということは同時に他の何かを捨てること」や「進化することで失うものがある」みたいな言葉はよく聞きますが(なかったらすみません笑)、例えば大学進学をする際には778(http://www.japan-now.com/article/300797944.html)ある中からただ一校しか進めません。言い換えれば、他の777校は捨てなければいけません。ここもあそこも行きたいから選べないというのが本音かもしれませんが、最終的に決断を下さなければなりません。

 

就活の自己分析をして感じたことですが、僕はこれまでこの自分で決断するということがなかったといえば嘘になりますが、取り立てて大きなもの・印象に残っているものが中々思い当たらず苦労しました。就活の面接では自分がこれまでしてきたことに対して「なぜそれをしてきたか」「その背景は何」みたいなことを徹底的に質問されるので毎年就活生の多くが半泣きになっているのではないでしょうか。

 

最初は「そんなの直感だよ。なんとなく好きだから以外ないよ」って感じなんですけど、この質問にまともに答えられないということはこれまで意識して決断したことがないこととを露呈しているのではないでしょうか。

 

「どうせ皆後付けでしょ。選考通りたいがためにそれっぽいこと言ってるでしょ」という声が聞こえてきそうです。実際多くはそうかもしれません。ただ、私が就活を通して仲良くなった一部の学生は、小学生の頃から自分の思いと行動をセットにしてこれまで生きてきており、そのため自分が何をしてきたか、どういう背景があったか、何に苦労し、どう乗り越えてきたか、その結果何が生まれ、次にどうしたかが全て一貫した話として永遠とできます。私はある学生から夜11時から朝5時までずっと聞かされてましたね笑。けど一貫しているからストーリーがあっておもしろい。漫画みたいに最初の物語があってバラモスみたいなボスを倒したと思ったらさらに黒幕がいて、、、みたいに続いているんですよね。

 

そしてそういう話ができる人はしっかり考えているから強い。ちなみに私が会ったその学生はインターンなどでバリバリ働いており、一部界隈では有名らしいです。就活も今年に入ってから少しずつ始めたらしいですが、1、2ヶ月で名だたる企業の最終面接まで余裕で通過してました。

 

かなり話がそれましたが、要するに決断できるって大事だということです笑。だって人生自分の思いがあってなんぼじゃないですか。その思いを実現させる際に決断に迫られる時が来るのでむしろこちらから迎え入れてやりましょう。

 

で、決断と同時に出てくる問題が捨てるということ(はあ、はあ、やっと戻ってきた)。私は、もう使わなくなったものを捨てることができず、単に過去の思い出に浸るだけのものがあまりにも多く身の回りにあることが、これから道を進んでいく時の足かせになると思います。

 

そうはいってもさすがに捨てるのはしのびないから、、、と言って放置する人のほとんどが引越しや大掃除で結局捨てるのに時間がかかる羽目に合っているように思います。しかも単にそうした物理的な手間だけでなく、知らないうちに「捨てることができない人間」となって決断ができなくなっているのではないでしょうか。

 

というわけで、私は衣類を捨てました。捨てすぎて着るものが限られてきたほどです笑。モノに魂が宿っていると思っている汎神論的な私には、やはり一つの生命が消えていくようで靴下一足捨てるのにもこみ上げてくるものがありました。

 

それらは実質的には機能を使い果たしたものですが、それらのおかげでこれまで楽しませてもらい、今の私がいるのですから、最期は「ありがとう、もうゆっくり休んで。これからも進むよ」と感謝と次へ進む決断を一つ一つに語ってあげました。

 

モノを大事にすることと捨てること。このパラドクスのバランスをとることは難しいです。

 

「モノを通して自分は何を得たいか/得たか」を考えることが一つキーかもしれません。

マキル、ブログに来る

「おぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

 

ここに今、はてなブログに新たなブロガーが文字の産声を打つ。

赤子にしては老けているが、まだこの世界のことに関しては何も知らないらしい。

果たして彼はこれからどんな道を進むことになるのか!

 

ということではじめまして、八咫澤マキルと申します。

僕は現在地方の大学生4年生で、先日就職先が決まりました。

来年の4月から某web広告会社で働く予定です。

 

就活も終わったことですし、これから自分が取り組んでいることや日常のことについて徒然なるままに投稿していきたいと思っています。

 

とりあえずあいさつということで今回はここまでで!

随時更新していくのでどうぞよろしくお願いします!