yatazawamakiru1のブログ

心にあることを徒然なるままに。故に話が飛躍することはザラなり。

衣類を捨てて感じた「捨てることができる人間」

みなさん捨てることができずに困っていることってありませんか?

いわゆる断捨離ってやつですね。

 

昨日やつれてしまった下着類や2ヶ月間外に干しっぱなしで随分と色あせてしまった衣類、押入れの奥にしまっていたもう着ることはないであろうコート等を一斉に処分しました。量にして、10ℓのゴミ袋二つ分パンパンになるくらいです。半分はまだ着れる余地があるなと思いセカンドストリートに出しました。

 

関わりをもったものに対して以上なほどに愛着を感じてしまう自分には中々難しい部分がありました。私の気持ちの入れようがどれほどかというと、自分の細胞が付着したものは全て自分の一部で、それが捨てられるとなるとこれまで一緒に過ごした時間が妙に美化されて蘇り、服が「捨てないで」と語ってくるようにさえ思われるほどです笑。多少誇張は入っていますが、そこまで外れてはないです。

 

みなさんも似たような思いしたことあるんではないでしょうか?特に誰かからのプレゼントであったり、自分のお金で買ったお気に入りのものなどはそうかもしれません。私も昨日捨てた中には高校の時に着てた自分では世界最強の組み合わせだと思っていたものもありました(白のプリントが入ったシャツとベージュのズボンです、、、、、、ガチでこれ以上はないと思っていました笑)。

 

いつぞやテレビで紹介されていたものでは、カレールーの箱さえも捨てるのをためらい、壁に沿って本のように何百と積まれていた人が紹介されてましたね。傍から見るとさすがにここまでくると何か普通でないものを感じますが、それでも内から湧き出てくるこのモノに対する思いは何なんでしょうね。人類共通なのでしょうか。

 

ただそんな私が遂に服を捨てる決心がついたのは、残していても全く意味がない、むしろ残すことで「捨てることができない人間」になってしまうと判断したからです。この捨てることができるかできないかというのは結構重要だと思っていて、単にモノだけでなく、生活の色んなシーンで言えると考えます。

 

将来のターニングポイントにおける決断なんかまさにそうでしょう。「何かを選ぶということは同時に他の何かを捨てること」や「進化することで失うものがある」みたいな言葉はよく聞きますが(なかったらすみません笑)、例えば大学進学をする際には778(http://www.japan-now.com/article/300797944.html)ある中からただ一校しか進めません。言い換えれば、他の777校は捨てなければいけません。ここもあそこも行きたいから選べないというのが本音かもしれませんが、最終的に決断を下さなければなりません。

 

就活の自己分析をして感じたことですが、僕はこれまでこの自分で決断するということがなかったといえば嘘になりますが、取り立てて大きなもの・印象に残っているものが中々思い当たらず苦労しました。就活の面接では自分がこれまでしてきたことに対して「なぜそれをしてきたか」「その背景は何」みたいなことを徹底的に質問されるので毎年就活生の多くが半泣きになっているのではないでしょうか。

 

最初は「そんなの直感だよ。なんとなく好きだから以外ないよ」って感じなんですけど、この質問にまともに答えられないということはこれまで意識して決断したことがないこととを露呈しているのではないでしょうか。

 

「どうせ皆後付けでしょ。選考通りたいがためにそれっぽいこと言ってるでしょ」という声が聞こえてきそうです。実際多くはそうかもしれません。ただ、私が就活を通して仲良くなった一部の学生は、小学生の頃から自分の思いと行動をセットにしてこれまで生きてきており、そのため自分が何をしてきたか、どういう背景があったか、何に苦労し、どう乗り越えてきたか、その結果何が生まれ、次にどうしたかが全て一貫した話として永遠とできます。私はある学生から夜11時から朝5時までずっと聞かされてましたね笑。けど一貫しているからストーリーがあっておもしろい。漫画みたいに最初の物語があってバラモスみたいなボスを倒したと思ったらさらに黒幕がいて、、、みたいに続いているんですよね。

 

そしてそういう話ができる人はしっかり考えているから強い。ちなみに私が会ったその学生はインターンなどでバリバリ働いており、一部界隈では有名らしいです。就活も今年に入ってから少しずつ始めたらしいですが、1、2ヶ月で名だたる企業の最終面接まで余裕で通過してました。

 

かなり話がそれましたが、要するに決断できるって大事だということです笑。だって人生自分の思いがあってなんぼじゃないですか。その思いを実現させる際に決断に迫られる時が来るのでむしろこちらから迎え入れてやりましょう。

 

で、決断と同時に出てくる問題が捨てるということ(はあ、はあ、やっと戻ってきた)。私は、もう使わなくなったものを捨てることができず、単に過去の思い出に浸るだけのものがあまりにも多く身の回りにあることが、これから道を進んでいく時の足かせになると思います。

 

そうはいってもさすがに捨てるのはしのびないから、、、と言って放置する人のほとんどが引越しや大掃除で結局捨てるのに時間がかかる羽目に合っているように思います。しかも単にそうした物理的な手間だけでなく、知らないうちに「捨てることができない人間」となって決断ができなくなっているのではないでしょうか。

 

というわけで、私は衣類を捨てました。捨てすぎて着るものが限られてきたほどです笑。モノに魂が宿っていると思っている汎神論的な私には、やはり一つの生命が消えていくようで靴下一足捨てるのにもこみ上げてくるものがありました。

 

それらは実質的には機能を使い果たしたものですが、それらのおかげでこれまで楽しませてもらい、今の私がいるのですから、最期は「ありがとう、もうゆっくり休んで。これからも進むよ」と感謝と次へ進む決断を一つ一つに語ってあげました。

 

モノを大事にすることと捨てること。このパラドクスのバランスをとることは難しいです。

 

「モノを通して自分は何を得たいか/得たか」を考えることが一つキーかもしれません。